大学紹介

平成26年度 高知大学入学式告辞

 高知大学へ入学を許可された皆さん、ご入学おめでとうございます。在校生、教職員を代表してお祝いと歓迎の言葉を贈ります。
 保護者の皆様方、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
 また、ご多忙の中、ご臨席賜りましたご来賓、関係者の皆様、有り難うございます。高知大学を代表して、お礼申し上げます。
 今日、先ほどの入学許可をもって、皆さん全員が高知大学の仲間になりました。全員が私の、つまり脇口組の一年生になったのであります。脇口組の教育ミッションは、学生さんの利益を優先し、責任をもって皆さんを社会に送り出すことにあります。そして、総ての職員が、皆さんの親代わりであり、教師であり、そして仲間であります。これからは、どんなことでも、遠慮しないで、誰にでも良いので、気軽に近くにいる教職員を頼ることを、この場で約束して下さい。よろしいですね。
 諸君は、熾烈な受験生活を乗り越えられて、高知大学という難関を突破され、晴れて、今日を迎えられました。これまで積み重ねてきた、諸君の努力に対して、心から敬意を表します。同時に、諸君の今日があることは、諸君自身の努力によることはもとより、これまで諸君を育て、守り、そして支え続けて下さった、保護者の皆様、ならびに恩師の皆様、友人など、多くの方々のご支援の賜であることを、胸に刻み、感謝の気持ちを忘れてはなりません。
 さて、合格発表を見てからは、受験勉強から解放され、あまり勉強しないで過ごしてきたのではないでしょうか。休憩時間は、ここで終わりです。今日からは、受験勉強とは違う、大学生の学びが始まります。諸君が、これまでやってきた勉強は、正解が一つ用意されている問題を解くためのものであったはずです。言ってみれば、決められたことを、決められたやり方で理解し、記憶すれば良いという、極めて単純な学びでありました。これに対して、大学生の学びでは、解答が複数あるもの、場合によっては正解が用意されていない命題がたくさんあります。しかも、問題を自分で発見して、それを解決するために必要な知識、能力を自分の力で身につけること、さらには、自分が辿り着いた回答を周りの人々に伝え、その正しさを理解させる能力が求められます。自律的、能動的、継続的に学ぶことが必要であり、日頃からそれは何か、本当にそれでよいのか、何故だろう、ということを自問自答し、仲間と議論を深めることが求められます。そのことによって、学びの場が、これまでの学校から大学と実社会へ広がり、諸君が生徒から学生に変身出来るのであります。
これからは、分からないことを、安易に教えてもらうのではなく、先ず自分で調べ、考え、議論して下さい。専門領域の学びを深めるためには、富士の裾野のように広く、分厚い、そして美しい基礎学力と教養が必要であります。議論を深める中で,自分が何を学ぶべきか、何をなすべきか、そして相手が何を考えているかを、すなわち自分と相手との違いを肌で感じ取ることが出来ます。学びの中で、もがき苦しんで頂きたい。自分と仲間との共通点と相違点を知り、それらの意味をよく考えて頂きたい。そのようにして身につけた、知識と豊かな教養こそが、専門領域の学問と統合することで、諸君を二十一世紀が求めている人材に、成長させるのであります。
 高知大学は、チャンス、チャレンジ、チェンジ、クリエイトの四つのCを標榜し、地域に根ざし、地域と共に発展することで、二十一世紀が求める国立大学に進化する、という強い意志をもって、改革を進めております。私たちは、ステークホルダー、すなわち「学生・保護者の皆さんや社会に対して責任をとることが出来る教育」を実践し続ける、大学を目指しております。皆さんは、高知大学で学ぶ絶好のチャンスを与えられたことを生かし、常にチャレンジ精神を持ち、受け身の学習者から能動的・自律的な学修者へと自己改革すなわちチェンジして、新たな人格と能力を身につけ、実社会で活躍できる自分を、クリエイトして下さることを期待しております。
 高知大学は、国民の税金で成り立っている大学であります。つまり、諸君は、莫大な国税による支援のもとで、教育を受ける資格が認められ、その権利を手にしたのであります。それは、エリート候補生だけに許される特権であります。高知大学で学ぶことで、高いプライドと厳しい規範意識を身につけ、リーダーサーヴァントとして、如何に学び、如何にして社会に貢献するか、ということを考え、ノーブレス・オブリージュの精神を、身につけて下さることを期待しております。
 最後に、少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、で始まる漢詩がありますが、四年あるいは六年間という時の流れは、諸君の想像以上に速いものであります。時間を大切にして欲しい願いを込めて、諸君に次の言葉を贈り、学長告辞とします。
 水は自然の恵みにして、時は宇宙の恵みなり。それ水を粗略にするものは飢え、時を軽んじるものは迷う。
 迷うという言葉には道が分からなくなってうろうろする、の他に、ものがもつれ絡んで乱れ、どうにもならなくなる、という意味もあります。迷うは、学問を志すものにとっては無知蒙昧の蒙昧、と並んで最も恥ずべきことであります。繰り返します。
 水を粗略にするものは飢え、時を軽んじるものは迷う。
 さて、少年老い易くの後半は、
 未だ覚めず池塘春草の夢、階前の梧葉己に秋声。
 これは、いくら若い頃の夢と情熱を持ち続けているつもりでも、気がつけば晩秋の梧桐の枯れ葉のように、人生の終わりが近づいている、という意味です。時の流れは、実に無情なものであります。
 諸君、一心不乱に、学び給え、悩み給え、そしてよく遊び、感激し給え。
 入学おめでとう。

 

平成26年4月3日
国立大学法人高知大学
学長 脇口 宏

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