新着情報へ戻る町田吉彦のページへ戻る


2005年8月5日 高知新聞朝刊「所感雑感」

「浦ノ内湾のヘナタリ」    町田吉彦

 ヘナタリは殻長3cmほどの巻き貝である。殻口の外唇が前方に大きく張り出し、翼状になる。内湾の砂泥地に生息するが、一般の人にはほとんど馴染みがない。
 この貝は、日本では本州中部以南から南西諸島にかけて分布する。しかし、内地では減少傾向にあることが1996年の世界自然保護基金日本委員会の報告書で指摘されている。東京湾では絶滅寸前、三浦半島や相模湾では絶滅したという。本種は環境省の絶滅危惧種に指定されていないが、典型的な干潟がない高知県では絶滅危惧のトップクラスに位置付けられている。2002年の高知県レッドデータブックでは、県内における本種の生息地は浦ノ内湾のみ。しかも、1981年に生貝が採集されたが、近年は確認例がなく、絶滅の可能性ありと記されている。
 浦ノ内湾の海岸線は複雑である。この一ケ所にかねてから気になる砂泥地があった。これまで、ここに隣接する礫地帯でカニの調査を行っていた。全国的なカニの希少種を確認したからである。調査は大潮の干潮時に限定される。礫をとり除き、その下の土砂を掘るのに精一杯。砂泥地は横目で眺めるだけであった。
 本年4月29日、日ごろ一緒に調査している卒業生の佐藤友康君とこの砂泥地で動物を調査した。彼も私も魚が専門であるが、彼はこのところ熱心に貝を勉強している。私は若いトビハゼを発見し、大喜びで彼に伝えた。県レッドデータブックで、浦ノ内湾ではここ10年以上確認されていないとされている。ヘナタリに気づいたのは佐藤君であった。
 「これ、ヘナタリじゃないですか?」
 私は大学院生のころ有明海で見たことはあるが、30年以上も昔の話。佐藤君は初めてである。後日、二人の大学院生の協力を得て密度を調べた。最大で1m2 当たり100個体であった。
 1992年、環境庁は閉鎖性海域88ケ所を選定した。この資料で浦ノ内湾の閉鎖度は6.3。上から18番目である。閉鎖度は海域の面積、最大水深、湾口の最大幅、湾口の最大水深で求められる。閉鎖度が高ければ汚染されやすい。単純なことだが、湾口が狭く、また、湾口の水深が浅いほど指数値は高くなる。
 浦ノ内湾は土佐市の荻岬と竜岬を結ぶ線の西側の海域である。6.3という数値はこの線の長さ、すなわち湾口最大幅1.24 km に基づいている。しかし、湾内に長大な一文字波止がある。この離岸堤と陸との最短距離は、南北の合計で約0.4 km。この値で計算すると、閉鎖度は19.5で、浦ノ内湾は浦戸湾に次ぐ全国で10番目の閉鎖海域となる。これが現状なのだ。
 一文字波止の外側には広大な砂地が広がり、湾内への砂の流入が阻止されているのが一目で分かる。しかし、換水にも当然、影響があろう。貝類の幼生は、一般に浮遊生活を送る。老成したヘナタリは外唇が著しく肥厚するが、浦ノ内湾の個体はいずれも老成個体ではなく、また、大きさも比較的均一であった。このことは、ヘナタリがここ1ないし2年の間に湾内に定着した可能性を示唆する。昨年、一昨年と一文字波止の一部が台風時の波浪で欠損した。修復前には、この間隙から海水が勢いよく流入出していた。
 浦ノ内湾のヘナタリが世代を重ねるかどうかは、現時点で判断できない。長期的な観察が必要となる。しかし、今回の発見は、人間と自然の共存と、人工構造物が生物多様性に及ぼす影響を考える上で、自然が行った大きな実験のように私には思える。





(C) Y. Machida