化かす話

 川獺(かわうそ)は人を化かすという。
 ニホンカワウソ調査員としてかれこれ丸9年。調査員になりたての
当時は、彼らが残したと思われる生活の証がぽつぽつと発見できた。
しかし、ここ5年ほど成果がなく、妙に後ろめたい。自らを鼓舞する
意味もあるが、最近は厚かましくも「かわうそ先生」と称して開き直
り、人を化かすことに専心している。
 古代、川獺は「みつち」とされていた。「み」は水、「ち」は精霊、
水の霊・水神である。みつちは「みずち」とも 呼ばれる。水に棲む物
の怪で、鮫龍(みずち)とも書く。鮫(さめ)と龍の合体は恐ろしい。
私の本職は魚で、「鮫と鱶(ふか)はどう違うんです?」と質問される
ことがある。一般の総称としては、大型の鮫が鱶、小型の鱶が鮫で、厳
密な区別はない。「龍は?」と尋ねらると、「専門と違いますから」と、
逃げの一手だ。先生は何でも知っていると皆が誤解している。だが、川
獺と龍には切っても切れない縁がある。カワウソの子育ては母親の役目
で、母親が子供たちを引き連れて泳ぐ様が龍とみなされていたようだ。
龍の付く地名はどこにでもある。私の郷里、秋田の田沢湖は、日本一の
深さと摩周湖に次ぐ透明度、そして辰子(たつこ)姫の悲しい物語りで
名高い。なぜか必ず美男美女なのだが、人が大蛇(おろち)や龍となり、
あるいはその逆も、また、棲み処が大きな淵や沼、池や湖という民話も
無数にある。霊を悲劇の主人公として美化し、自ら霊となって自然と永
遠に同化したいという願望の現れともいえるだろう。
 科学に携わりながら非科学的で申し訳ない。私はもののけ姫よりトト
ロが好きで、日本の自然には物の怪の復活が必要と思う。大きな水体の
持つ静けさと神秘性に感動する心は、私たちも川獺をみつちとした万葉
人も変わりはないはずだ。ただ、私たちが自ずから水辺と疎遠になった
のは否めない。さも何事もなかったような、自然に優しい、思いっきり
贅沢な開発でこれからの人を含めた生き物たちを化かしてみては、と常々
考えている。
                                 
(町田吉彦,四国地方建設局河川部河川計画課発行「清流」,1999年3月号
8〜9頁に掲載)

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