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 蒲原稔治博士の著書



1931年 鯨,鰹,珊瑚.日本地理体系.中国,四国篇.(改造社),pp. 353-354.

1940年 堅皮類(日本動物分類 No. 30).三省堂.112 pp,56図.

     的鯛族,破鰭族,溝背族(同 No. 32).三省堂.79 pp,26図.

1941年 鱸型族,鯖族(同 No. 36).三省堂.225 pp,102図.

1949年 深海の魚族.日本出版社.189 pp,104図.

     土佐の魚.高知県文教協会.158 pp,24図.

1950年 土佐及び紀州の魚類.高知県文教協会.288 pp,220図.

1955年 原色日本魚類図鑑.保育社.135 pp,64図版,76図.

1961年 続原色日本魚類図鑑.保育社.168 pp,68図版.

1965年 新日本動物図鑑,下巻(共著).

1966年 魚.標準原色図鑑全集,4.保育社.176 pp,64図版,44図.

1967年 Fishes of Japan in color.保育社.135 pp,64図版.

1968年 土佐の釣魚とその生態.高知新聞社.215 pp,159図.

1973年 遺稿集,酒と魚.高知新聞社.207 pp.

1985年 原色日本海水魚図鑑?.保育社.212 pp,72図版,93図.

     原色日本海水魚図鑑?.保育社.160 pp,72図版.

1996年 魚.エコロン自然シリーズ4(岡村補).保育社.175 pp,64図版.


『土佐の釣魚とその生態』「序にかえて」より引用.

 長い海岸線と10余りの好漁河川を持つ土佐は昔から漁業が盛んで,漁を趣味とする人が多く,その方法も独得のものを含む.この土佐で淡水魚,純内湾魚など特に豊富な高知市五台山地区に生まれ,育った著者が,天与の素質に,不断の研究を重ね,魚類分類学における日本の権威になられたことは郷土の誇りであり,今さら私が業績をご紹介するまでもない.

 著者は私の旧制高知高校時代の恩師であり,以来40年間にわたって,おつき合い願い,10年ほど前には高知新聞社が派遣した奄美大島,琉球列島の両学術調査団の団長として,ご活躍願ったのをはじめ,種々お世話になっている.

 頭が上がらないところだが,先生を評して言うならば非常に”得な人”だと思う.それは趣味とライフ・ワークが全く一致しているからである.先生は少年時代から投網の名手で,これが直接,学問に役立つばかりか,得た魚を肴にして味覚を楽しめば,またそれが学問につながる.趣味-天職-実益が一本にまとまっている.先生の一生は”得手に帆を上げた生涯”となろう.

 また先生は,学究の徒には珍しく,豪放磊落,竹を割ったような典型的土佐人である.最も思い出深いのは,私が高知商工会議所にいたころのこと.網舟を持っていた先生から連絡があった.「いまから漁をして君の自宅で一ぱいやるから帰ってこい」.時間をみて帰ると,ほかの先生方も一緒になって盛んに飲んでいる.ところが魚は一尾も見えず,料理はカシワである.見ればわが家の鶏の数が三羽ほど減っている.しかも一番,卵を生んでいたトリも見あたらぬ.何のことはない.ご馳走するといって,ご馳走させられたことだった.酒は斗酒なお辞せず,全く豪快な飲みっぷりである.そして酔えば必ず裸になった.つまり露出症だった.最近ではやっと分別がついたようだが....(失礼)

 こういった一面,先生は学生に非常に人気があった.えてして講義は面白くない,退屈なものだが,先生の場合は1時間があっという間に過ぎてしまったことを覚えている.私の魚の知識は当時,先生から得たものである.論文提出後に召集を受け,南支で転戦中,理学博士を受けられたことも印象に残る.

 近年,釣りブームは高まる一方だが,釣られる相手を知ってこそ醍醐味は倍加し,失敗も予防できる.魚の図をふんだんに挿入し,種類,性質,生息状況など,一般にもわかり易い内容は,学生,家庭の科学図書として最適であると確信,広く皆さんにお薦めしたい.

(福田義郎 氏・当時高知新聞社長)