浅川日記・ボジョルノ・ニーノ(ありかなしか聞いてみたい)

公開日 2012年1月10日

ボンジョ~ルノ。

突然ですがブログを読んでくれているみなさんに聞いてみたい。これはあり?

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この写真のおかしなところに気付きました?

そうです。ほとんどの家の雨戸が閉まっています。

どういうことか?

もちろん人が住んでいないということ。

答えはこうです。ここはリゾート地なので、セカンドハウスを構えている人が非常に多いんです。休暇のとき限定で使う家たち。これが海岸沿いに何キロも続いているんです。以前行ったグラードという島も同じ状況でした。こういうスタイルはありかなしか?

たとえば高知なら、仁淀川に沿ってセカンドハウスがずらーっと建てられている。夏のバカンスのときだけ人が大量にきます。お金はすごく落ちます。みなさんはこの状況は受け入れられますかね?それからセカンドハウスという考え方。

日本では住居の購入、特に一戸建てなんぞは一生に一度の大きなお買いもの。でもこちらではそうではなさそうです。結構普通にセカンドハウスを持っている方がいるようなのです。というかあるので持っているのでしょう。(←推測)見たうち一部は外国の方のものかもしれませんが。日本では、空家というのはあまり好まれませんよね。

1年生のころよく農業をしに、通っていた大豊町怒田で夜、電気のついていない空家を見て何ともさびしい気持ちになったものです。それが、こちらでは何キロも続いている。まちの中心から歩いて20分のところですよ!

どうでしょう?

日本でセカンドハウスという文化は普及するでしょうか?

またしていいものなのでしょうか?

イメージでの話なのですが、イタリアではかなり晩婚化が進んでいるように思います。ちっちゃい子のお父さんが、結構お年を召されているように見えることが多いんです。イタリア人男性は、すぐにこうダンディというか渋くなる人が多いのかもしれないですが。男性ホルモンが多そうというか・・・。その期間お金を自分のために使うというか、使えるというか・・・。感覚的に日本と比べれば、自分のためにお金を使うっていう人が多い文化な気がします。

ともすれば、晩婚化や未婚率が高くなっている国では同じような状況になる可能性がないとは思えないんですよねー。たとえば避暑地として嶺北地域に少し簡易型の家を持つ人が10万人いたら、地域にお金は落ちるかもしれません。が、それは幸せなのでしょうか?

とても考えさせられる光景でした。

いなかで地域活性化に取り組んでおられる方には、ぜひ見てほしい光景というか、どうしようもない、取り返しのつかない光景のように思えます。観光地化とか県外の人を地域に呼ぶということの代償というか・・・。一番はその地域に永住してくれれば問題ないんでしょうけどね。なくしていいものといけないものそこの線引きは誰がするんでしょうか?いや~、高知にはアルゲーロ以上に外の人を引き付ける魅力があると思います。

山、川、海、人、空(←ジミ?)。

まあその前に長期休暇・バカンスや、セカンドハウスの文化が浸透しないとあり得ないことだとは思うんですが。モデルとしてはありうると思うんですよね~。こういう地域のあり方というのは。 

イタリアで感じるのは「建築」に「人」という概念がとても強く含まれていること。こちらの建築学部って日本の建築学+人文学みたいな印象です。建物自体に人が住むこと前提で考えているというか・・・。だからこう街がきれーに残っているというか、生活と建築が密着しているというか。建築士が建築をする時に、当たり前に街と人との関係を考えている??今、自分が知っているなかで、高知で街づくりにかかわっている人で建築士の方って、それ以外の方に比べて多いとは思えないんですよね。こう、分業されているというか。もったいないというか。日本の建築学を学ぶ仕組みってどういうものなんでしょう?比べようがないので分からないですが・・・。フィーリングの話なので間違ってたらすいません。

建築士に上記の線引きをしろとは言いませんが、そういう建築のプロの目というのも街づくりには重要かなーって最近感じただけです。

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