浅川日記・ボジョルノ・ニーノ(1月16・17日:オロゼイ編)

公開日 2012年1月17日

ボンジョ~ルノ。

今日はオロゼイからこんばんはです。先日の日記にも書きましたが、ファミリービジネスについての調査するためにジャンルカさんとオロゼイに来ています。

突然ですが、ファミリービジネスっていう言葉を聞いて何を思い浮かべますか?

なんでこんなことを書くのか?

うん。日本でイメージしていたファミリービジネスとは世界が違った。銀行を経営していることは知っていたので、すごい家族なのは覚悟していましたが。なんと5人兄弟らしいのですが、一族でホテルを16店舗経営。そしてサルディーニャ島でもっとも大きな「サルディーニャ銀行」を経営。街の中にいくつもレストランを経営していました。

ファミリービジネスで、家族でホテルを経営。

イタリアでアグリツーリズモという宿泊スタイル(10年くらい前からこの名前になったらしいのですが、20年くらい前からあったらしいです。いわゆる農家レストラン兼宿泊所)があるのですが、そういうイメージだったんです。

家に入ると普通に置物があるんだけどなんかレベルが違うんです\(-o-)/

オロゼイでの、このファミリービジネスの調査とは、そんな、住む世界の違うお方にオロゼイの街を案内してもらい、そして色々と質問をするというとんでもないお話だったのです。そんなの聞いてなかったし・・・。それにしてもこっちに来てから後で知ったというパターンが非常に多い。英語のせいか・・・。

もう最初から、会う前からずっと緊張が解けない。お聞きしていた情報によると、一階が銀行という家の前で待ち合わせ。電話をして「着いたんですが・・・」と連絡すると、「いないね。ごめん!そこは多分もう一個の銀行の方だ・・・~に来てくれ」との連絡が。ジャンルカさんと銀行が僕らのギター感覚ながやね~とか言いながら銀行へ。

緊張感がますます増す。

うん間違いなく大豪邸だ!っていうくらいの立派な建物。これも当日になって聞いたんですが、サルディーニャ島でもっとも有名な家族。イタリアでも指折りの家族らしいのです。

後々パオラ先生から聞いたのですが、ベネトンとかFIATがファミリービジネスの典型。このアントネッロさんもそういうイタリアで典型的なファミリービジネスで成功した一族のひとりなんだ、とのこと。

アントネッロさんというダンディなおじ様。とても優しそうな顔でした。ちょっと待っててくれといって自宅に戻られたので、僕らはカフェへ。僕はいつも通りカプチーノと今日はハンバーガーを注文。

コーヒーがテーブルに運ばれてきた時、大豪邸の方からとことこ歩いてきて、普通に僕の前に座ったんです。アルゲーロもだいぶ寒くなってきました。でもジャンルカさんがタバコを吸うので、外の寒い席に座ってました。アントネッロさんがお越しになり、寒いから中に入ろうと提案してくれたのですが、タバコ吸うからここに座るとジャンルカさんが回答。

そしたら普通に座りました。僕の前に。ジャンルカさんそこは中に入ろうよ!!!と本気で思った。そんな人の前でハンバーガーを食べながら自己紹介をする自分。

イタリアに来て少し度胸がつきました(笑)

なんと彼は1日仕事をお休みにして、僕らの車に乗り込みいろんな情報を提供してくれながら、オロゼイの街を案内してくれたのです。話してみるとものすごいいい人でした。僕に情報を少しでも伝えようと、懸命に英語でお話をしてくれました。お互いほとんどしゃべれないので、単語とかジェスチャーも使ってのコミュニケーションです。何度も何度も僕が解るまで英語で説明してくれる。めっちゃいい人です。緊張しすぎて最初は全部イエスって言っちゃってましたが・・・(悪い癖)。

高台から街全体のこと、また友人の農家の方を紹介してくれて、サルディーニャの農業の在り方も説明してくれました。すごい一族なんだけど、彼は街でいろんな人に愛されているというのがひしひしと伝わってくる。本当にオロゼイのことを考えている人でした。

詳細書くと長いからまた書きます。楽しかった。

ちなみにオロゼイの紹介をすると人口が約7000人の小さな街。しかし夏場には35万人ほどになるとのこと。街はほとんどが農地なんですが、裏の山では大理石を切りだしていている。とてつもなく大きいビジネスです。街ではアントネッロさんの一族のホテルが数件あり、その他にもいくつかのホテルが軒を連ねています。観光業が発達。農業も昔から複数の家族間で共同して行われていたらしいので、きれいにここ整備されているんです。オリーブが、あるところではぶどうがという風にきれいに整備されています。

勉強になることが多かったです。

さてランチ。行ったのは一族で経営するレストラン。顔パス入店。顔パスでレジ通過。

夕方6時くらいからオロゼイの伝統的なお祭りが行われました。実はこれをメインに見に来たんですが。ちなみに600年近く続いているお祭りで、山から切り出してきた木でおっきな焚き火をするイメージです。8~10メートルくらいの焚き火ですね。なんとも豪快なお祭りですが、600年前の建物のすぐ隣、教会のすぐそばで行っているんです。この歴史的に価値がありそうな建物たちですが、火の粉をかぶっていて大丈夫かな・・・と思いながら見ていました。ちなみに10年前に死亡事故が起きているらしいのですが、それからは「気をつけてやっている」という回答にイタリア人らしさを感じました。

地元の人は火の粉をかぶりながら、火の回りを反時計回りに3回まわるといいらしい。無病息災を祈願するという感じですね。

ちょっと話を変えて思ったことの一つを書いてみます。

『高知の誇り。』

ジャンルカとオロゼイに来る旅の途中、アルゲーロは結構クローズドなマインドの人が多いと思うという話をしていました。隣町に住んでいるジャンルカから見たら、アルゲーロの人は休日に他のコムネに出かけたりすることが少ないし、アルゲーロ大好きな人が多くて、生活のほとんど全部自分の街で済ませる人が多いとのこと。近くにサッサリや、格安航空なら数千円で他の地域に行けるのですが・・・。小さい街ですが、アルゲーロから出たことないという人も結構いるらしい。

孤立している、というか誇りかな?

その影響として考えられるのがカタルーニャの文化。バルセロナに住む本物のカタルーニャ人はスペイン語や外人をヘイトしていると。同じスペイン人でも、カタルーニャ語がしゃべれない人には、飲食店で一切のあいさつがなかったりということが普通にあるらしい。これは誇り高いとも言えるんだけど、やりすぎかもしれない・・・。ある意味差別なのだが、よく言うと自分たちに誇りを持っているといえるのかな。

この話を聞いてなんとなく高知県のことを思ってしまった。地理的に恵まれていなく、なんとなく他の県にはない文化が残っている高知。高知好きの人が多くて、妙に誇り高い。でも高知ってなんか誇り高いのに他人(他県)にも寛容というところがあると思った。

変わっているよね~。高知。

仕事がないとか、教育レベルが高くないとか、高知を好きな人が高知に残れないという状況をひとつずつ改善できれば、アルゲーロ、もしくはカタルーニャみたいな地域になれそうな気もする・・・。これについてももう少し整理して今後の日記で書いてみようと思う。

もうひとつは4000年前の石積みの跡が普通に残っているイタリアのすごさ。ヌラガっていうらしい。こんなのが牧場の中にあったり、丘の上にあったり。今まで残った理由は、壊せなかったから。こんなものよく手で作ったと思います。

これは4000年後に残そうと思って作ったわけではないでしょうが、結果的に残っている。こちらの人はあまり価値を感じてそうにないところがすごいのですが、日本も消耗品だけではなく、先を考えた街づくりをしなきゃいけないと思うとかいうことも感じました。

イタリアは、山がしんでいるように見える。その理由が火災。サルディーニャは40℃近くまで気温が上がるので、アルゲーロでは自然発火がおこるかららしいです。だから植林というか山を自分たちで守っていこうとする文化が日本ほど無いらしい。また山から大理石が採掘できるなど、日本とは大きく違う。日本の中山間地域とこちらの田舎はだいぶ違う光景です。

ニノとなおやの神隠し。

最近あんまり自分の名前使わんから、自分の名前宛てでメールが来たら変な感じがするという・・・。入国審査ゲートをくぐればそこは外国でした。

当たり前か。

 

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