公開日 2012年2月12日
ボンジョ~ルノ。
今日は昨日の夜8時に寝たので、朝3時におきて昼の11時まで作業。眠たくなったので、12時から2時までお昼寝しました。そのあとお昼ごはんに行きましたので、3時から晩御飯をはさみ、夜の2時まで作業という変な体内時計で生活をしている浅川です。
最近、アルゲーロでも雪が降るようになってきました。本当に寒くなってきています。11日は最高気温が4度で最低気温が-2度。今はちょうど寒波が来ているようで1週間後には最高気温が12度くらいになる予報になっていますので、暖かい日が来るのが楽しみです。
今日もずっと作業していたのですが、夜の8時30分くらいにリビオさんから「カルボナーラ食いに来ない?」っていうメールが来ました。ちょうどごはんが食べたい時間になってきていましたし、自分で晩御飯を作る元気も無かったので、ごちそうをされに行ってきました。
リビオたちが住んでいるアパートは、僕の家から歩いて10分くらいのところに家があるのですが、行きは車で送ってもらいました。本当に楽しい時間を過ごすことができました。みんなでご飯を作って、テレビ見て、ワインを飲みながらカルボナーラを食べられる。本当に幸せです。
最近友人からよく言われるのですが、酒飲むの早いって。お酒を飲むときは、ニックネームが「スーペル・ニノ」になるんです(笑)。これはACミランに所属するフィリポ・インザーギのニックネーム、「スーペル・ピッポ」から来ています。ちなみに僕はこのインザーギがけっこう好きなので、僕にとってはけっこう嬉しいニックネームです。ちなみにインザーギ、超イケ面な選手なので・・・僕にはぴったりですね。
おいしいカルボナーラとポテトの料理をいただいてきました。帰りは大雪でしたが、あえて歩いて帰ってきました。「今年最初の雪の華がぁ~」って歌いながら。
はい。最近はひたすら研究室ごもりの生活を続けています。もうそろそろ飽きてきた。そろそろ日曜市に行きたくてしょうがないです。こういうときは自分だけの思考(妄想)をはかどります。今日は妄想の成果報告。
いろいろ市場の視察には行ってきたけど、どうすべきなんていうノウハウは全然持ち帰れそうにない。というのも、なんだか日曜市は今の日曜市だからこそいいんだろうなという間違いない、なんか確信に近い気持ちがわいてきました。ヨーロッパの市場はいろどりが豊かで、購買意欲をそそられます。店主がおしゃべり上手です。パンフレットのある市場もあるし、すぐに食べられる工夫もされている。
日曜市でも出来ることはあるんだけど・・・。
でもなんかどこか変わってほしくない気持ちもある。高知県って変われるけど、変わってこなかった(こられなかった)からこそ持っている魅力がとても詰め込まれているんじゃないかと思うようになってきた。僕の会う高知県の人、特に高齢の方って、高知はダメだ、都会に出ないといけないよーってよく言う。日曜市の出店者さんたちが僕らによく言うんだよなー。
あきらめの気持ち。
でも、実はその言葉の裏には、どこか今の状況が変わってほしくないという思いがそこにはあるんじゃないだろうか、って最近思うようになってきた。これを動かない、変わる努力をしていないとは言っちゃいけないなー、と先日プレゼンの振り返りをしながら反省した。
ちょっと考えすぎかな・・・。
確かに無機的な現状維持なんてありえないから、生き残りのためには時代に合わせて変わらなきゃいけないのかもしれないけど・・・。でも、「変わってほしくない」。
自分の母校とか友人、釣りをして遊んだ川、この街の風景。当たり前にだれもが持つことを許される感情だと思う。『ふるさと』が変わってるってつらいものがある。僕の母校、土佐の校舎は僕が高校3年のときに建て替わった。でもやっぱり古い校舎で過ごした5年間は忘れられないし、きたない食堂が好きだった。もう母校に戻ってもそれがない。それはつらい。
たぶん僕の先輩たちはもっと新しい校舎を見て青春時代とかを思い出して、古い校舎がなくなったという、何とも言えない気持ちになるんだろう。僕の小学校のころに遊んでいた小川はもはやコンクリート舗装された用水路になった。今でもあそこで放課後にザリガニをとっていたのはいい思い出。
やっぱり変わってほしくない。こう考える人が高知には多いんではないかと思うようになってきた。もちろん何の根拠もないんだけど・・・。こんな純粋な気持ちの強さが今の高知のすごさのひとつような気がしてきた。仁淀川町のだんだん畑。大学生活で衝撃を受けたものの一つ。ステキなもの。でも合理性では成り立たない。守りたいっていう思いとか、懐かしいとか、好きっていう気持ちがないとだんだん荒廃するだろう。
僕は頭が悪いので、そこをお金とお金じゃないものでざっくり分けて研究している。そう考えてると、こういう思考になってきたんです。そういう『変わりたくない』って気持ちをきちんフォロー出来るまちづくりってあり得るのかな?知らないけど・・・。
大学入ってから何か変える事にばかり目がいっていたと思う。
でもゆっくりと、ゆっくりと日曜市とは付き合って行きたいと思うようになっている。自分の考え方は、ちょっと保守的な気もする。
最近こういう思考になったきっかけが、ヨーロッパでの生活。こっちは歴史的な文脈とのつながりを街で感じられる。これだけ歴史的な建築物が残っていて、それと共存するっていう選択を人々が無意識的にでもしているから。
ちょっとうらやましい。
高知の人って高知城はしょぼいですよー。ってみんな言いますもんね。城下町であるはずの高知にとってはシンボルだと思うんですが。僕はお城が好きです。
こじんまりしていますが、花見いったり、何だかんだでお城って登るんですよねー。高校時代はあえて通学路に選んでいましたし。高知大学に来てまちづくりに興味のある人のにはぜひ登ってほしい。たぶんいろいろ感じられるはず。
何しろ高知の中心ですから。
ちなみにカップルで行くと別れるとか言う迷信がありますが、たぶん大丈夫。日本の建築物の寿命は石を使うこちらよりは短い。4000年前の建築物が、牧場の中にあったりするんだもん。これは単純に考えれば、日本では木を使うからだと思う。じゃあ日本人はどうやって歴史とのつながりの中で街を作ってきたんだろう?って今考えている。
仮説極まりないけど、先代から引き継ぐとすれば、人とか思いしかない気がする。高知市には、他の市より歴史的な文脈とつながれる可能性は高そうに思う。お城があって本当に恵まれていると思うけど。
今はそれが分断されているように思えてならない。海外から帰ってくると、いつもアパートとかマンション群を見て思うんだけど、どうしてみんな同じ、ハコのようなアパートに住むことがどうして選択されなきゃいけないいだろうって。それなのに近所の人とのつながりも無いとかさみしい。そろそろ2回忌が来るけど、友人と高知でビジネスするなら高知城を本社にしようぜーって言ってたのが懐かしい・・・。
昔の暮らしにあこがれるってそういう文脈が断絶しちゃったのではないかな、って心配になっている。ちなみにここでの主語は、僕の心にある、もやもやした気持ち。すいません共感出来てこのもやもやをなんとなく察してくれる人だけ読み進めてください。メールでもSMSでもいいので興味がある人は、アドバイスをください。
高知が都市化から取り残されたことが、そういう状況に対するアンチテーゼというのなら、あまりに変わることを望むのはもったいない気もする。維持できずに、なくなるのは最悪だけれども。
結局は何が言いたいのだろう。
何を言いたいわけでもないけど、最近の思考の公開です。現実逃避をしながら現実逃避的な思考をするのって好き。論文は・・・あとで、やります。