有田日記・マイサバーイ(2月16日:BanJumRang編)

公開日 2012年2月16日

来てしまいました。BanJumRangです。デン先生の話通り、Ryong全体が収入の多い造船業の栄える町で、かなり活気がありました。そこから10分も経たないぐらいの所にあります。大学院生のパンさんとその彼氏さん、大槻先生、私の4人で来ました。パンさんは立命館大学にいたこともあり、日本語少しとタイ語・英語を使いこなす頼りになる方です。 最初は、BJRの婦人会が作った料理を頂きました。ここの花から獲ったエキスからできた水(アンシャン)が、香ばしいというか妙な甘みがあっておいしかったです。この地域ではみんなこのアンシャンを飲んでいます。朝飲むとシャキっとするらしい。

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さすが、タイ版馬路村。視察用バスまであって村内をぐるりと回らせていただきました。主要産業はゴムの原材料の生産で、多くの木が植えられていました。果物もいくつか栽培されていますが、ほとんどが村内で食べるために加工され、余った分を商品にして販売されています。最も有名なのはドリアンのチップです。ゴムの生産は、昔は中間業者の搾取がひどく収入源にはならなかったそうですが、今は1業者の介入のみとなり、単価がキロ単位5バーツ以上上がったそうです。何百キロ単位と生産していれば、タイでは大きな収入の変化になります。ちなみに1万円が3500~4000バーツぐらいで、30バーツ(100円前後)で十分な食事ができます(おかげで、かなり助かっています)。

この大きな池は、生活用水・農業用水になり、正月(4月)にある水かけ祭りにも使われます。BJRの命に近い池です。海の近くなのでナンプラー(漁醤)やカピ(エビの塩辛かな?)も多く作られています。エビを3日間塩漬けして、2~3日天日干し。それを潰してペースト状にしたものがカピです。子どもたくさんいるようで、バイクで3ケツの親子は、ざらです。3歳ぐらいだろって子が、バイクに飛び乗り振り落とされないように、つかまっている。便利さとか物理的な豊かさが人を弱くしていくんだなー。こけた子どもが、周りを見て大人がいないと、1人で立って歩き出すのと一緒か。自分に子どもができたら、タイの人たちみたいに、大らかで優しくてたくましい人になって欲しいな。

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コミュニティーセンターに戻ってから、地域リーダーに話を聞きました。ポンさんが通訳になってくれます。上で書いたような話を聞きましたが、地域おこしの事例として馬路村の本を読んだというのには驚きました。タ行の発音がないのでみんな馬路村農協組合長「Ootani」と呼びます。さすが、世界の東谷さんですな。しかし、この本から何を吸収して、何を活用しているのかがイマイチ見えてこない。もっと、時間をかけて色んな角度から聞いてみよう。写真は、コミュニティーセンターの写真で、右端のシャツがかけられている店が、「no seller shop」です。割と日用品がメインで、地域内の人が欲しいものを買っていくようです。しかし、この買付や商品管理はどういう方法で行っているのだろうか。それ以前に、コミュニティーセンターがある時点で驚きだけど。さらに、WI-FI通ってますからね。日本のどこの田舎にWI-FI飛んでる地域があるんだよ・・。

この村の発展は、この約10年のタイ国内の“小旅行”ブームとも関わります。小旅行は、都心の人々を中心に、車で少し遠出する旅行です。今、バンコクからちょうど2時間の距離にあるBJRが注目されており、観光客数はずっと伸びているそうです。

高知県のように外商しなくとも、来てくれるから売れる。輸送コストもかからず、売りやすいし買いやすい。視察に来た地域の人にもうまいこと売っているんだから凄いよ。まあ、ここでブームが終わったらどうするのかという疑問もありますが。高知の知事さんが、地産外商を進めるのは、観光産業がうまく発展しなかったからなのか?今、高知県はBJRと逆の方向に進もうとしているけど大丈夫か?高知に帰って勉強し直したいことが見えました。

ここまでで学んだことは、BJRの商品の魅力は「自分たちが食べるために作られた商品作り」だということです。高知県は地産外商を進めていますが、地産の意味を考え直すべきだというのが私の意見です。県内で製造するのは、売るためにではなく自分たちが食べるためが基本で、そんな商品が、観光客から見てもオリジナル性を感じられると思います。正直、まだ空想的にしか言えませんが、3月10日までにこれを合理的に説明できるようになるって目標にするか。

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ここら辺は特にバイクがポピュラーな移動手段になっていて、年季の入ったバイクがたくさんありました。これに、ステイ先のお父さんと大槻先生と僕と旅行カバンたちが乗ります。「バイクの本当のポテンシャルはこうだろ」と大槻先生。・・・納得できるかも。もっと使いきる必要あるよね、何でも。日本人は「MOTTAINAI」と言いながらも、皮肉的な意味で豊かに暮らしている気がします。ちなみにこのバイクは、35年物だそうです。すごいね。このバイクでホームステイ先へ。めっちゃサバーイ(快適・気持ちが良い)です。タイ語の挨拶は、「サワディーカップ」ですが、もとは「サバーイディー(気持ちが良い)」から来ているらしいです。だから、意味合いとしては、むしろ「How are you」なんですよね。この言い回しは、少なくとも今の日本人はなかなか使わない。あえて言えば、土佐弁の「ぼっちり」の感覚には似ている気がします。BJRへ来て、孤独は辛いけどもそれほど違和感がないのは、雰囲気というか人の接し方も、高知県の田舎にどことなく似ているからかも。ステイ先のピーパァン(パァン兄さん)の家の庭の裏には、寺がありました。地理的に考えて、おそらくBJR専用のものです。伝統的な祭りもここが会場になるそうです。一地域が自力でこれを建てられるか?と考えると豊かさの象徴かな。約23年前に建てたそうですが、絶妙な色合いを出していてきれいでした。寺の存在がBJRの人々にとってどういう意味合いを持っているのか気になります。

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夜は、ご飯のあと大槻先生が明日帰るので、パァンさんと先生と3人でミニパーティーでした。2人はほとんど同世代で「サッカー翼」「一休さん」「ドラゴンボール」みたいな古い日本アニメトークをしていました。ちなみに彼の息子さんは、ドラゴンボールフィギュアコレクターです。日本文化大流出やな(良い意味で)。そうそう、このパァンさんは、村で英語が喋られる数少ない人の1人で、さらに英語レベルがちょうど同じ位なのでとっても話しやすい(ここでは、大学まで教育を受けた私と独学で覚えた彼とがなぜ、同じレベルなのかについては考えないようにします)。パァンさんは、日本好きで、馬路村の信奉者でした。とにかく馬路村に行きたくて、さらに日本の産業や文化を見たいと半端じゃないハングリー精神です。それにとても頭の良い人でした。馬路村について「東京は考えるだけ。作れない。馬路村は考えて作ることができる」。馬路村とBJRを重ね合わせて語っているようでした。ちなみに、徳島県上勝町の話もしてみましたが、さすがに皿の飾り付けという文化は、理解してもらえませんでした。

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