朝倉の郷土歴史家・五郎さんとゆく、朝倉水路巡り

2014年7月12日
 

S・O・S認定団体やコラボ考房プロジェクトの高知大生たちが朝倉の郷土歴史家・弘田五郎さんの案内で朝倉の水路めぐりをし、自分たちのプロジェクトのヒントを得ました。当日の様子を教育学部4年生の伊藤創平くんがレポートしてくれました。ぜひご一読ください。

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 (写真:弘田さんから説明を受ける様子)

 高知大学教育学部4年の伊藤創平です。台風一過。スッキリ晴れて気温もぐんと上がった7月12日(土)。朝倉(高知大学を含む近隣地域)の郷土史研究家・弘田五郎さんの案内のもと、水路めぐりを行いました。この企画は、昔から朝倉の田畑を潤してきた水路を巡り、来るべき南海大地震や毎年絶えない水路での事故についての対策を考えようと、朝倉まちづくりの会に参加している地域の方、学生、大学教員によって催されました。当日の参加は15名ほどで、13時半に朝倉堰(鏡川)に集合し、2時間半ほどかけて朝倉神社までの水路をめぐりました。

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  朝倉堰は、大学から北に2キロほど行ったところにあり、朝倉地区と神田地区の水は全てここから引かれています。古くは、江戸時代の土佐藩家老・野中兼山によって作られ、その頃の朝倉は3000石もの米の生産を誇りました。隣接する神田800石、行川100石と比べると、その生産力の高さに驚かされます。堰の横には水神様が祀られており、そこから朝倉を見ると、江戸時代の広大で肥沃な土地が目に浮かぶようでした。最初に、堰の歴史やかつての朝倉の土地のことを学んで、いざスタート。水路にそって歩きました。よく水路を見て歩いているとあることに気づきました。水路が蜘蛛の巣のように土地のそこら中に張り巡らされているのです。普段でも、多いと感じる水路ですが、道に覆われているものや、家を這って行くように細く伸びるものも合わせると本当にそこら中に張り巡らされているのです。それだけ生活に密着していたのでしょう。途中には、子どもが水遊びをしていたり、水洗いをするために水路を降りる階段があったりと、普段は息を潜めてはいますが、今もなお水路は、朝倉の人の生活を支えているのです。

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(写真:いざ、出発)

 水路をめぐり、土地を知ることで、水に親しみ時に恐れながら共に暮らしてきた人々の生活や自然といかに共存するのか試行錯誤を繰り返して来た歴史も知ることが出来ました。

 この企画の参加者には、学内にホタルを飛ばして大学と地域をつなげようと活動している学生がいました。今後も、水路巡りやフィールドワークを続けるとともに、このような学生たちと一緒に古きを知り、それを今に活かす取り組みにしていきたいと思います。

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