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浦戸湾の埋め立てを考える

高知大学理学部自然環境科学科 町田吉彦

1.浦戸湾の特徴
 環境庁は平成5年に、面積がほぼ4km2以上で、窒素または燐により植物性プランクトンが著しく増殖する可能性がある閉鎖性海域、すなわち、汚染が現れ易い海域として88ケ所を選定した。面積7km2の浦戸湾はこれに含まれている。最も閉鎖度が高い海域は、京都府の久美浜湾である。ここは、面積6.93 km2、最大水深20mで、22mの浦戸湾とほぼ等しいにも拘わらず、閉鎖度は526.50である。これは、湾口の幅がわずか50m(浦戸湾は250m)、湾口の最大水深が2m(浦戸湾は10m)しかないことによる。閉鎖度が100以上の海域は全国で4ヶ所、10以上100未満の海域は10ヶ所である。浦戸湾は23.28であり、10位である。浦戸湾は、面積が狭い方から16位、湾口の幅は狭い方から7位、最大水深は浅い方から22位、湾口の深度は浅い方から10位であり、高い閉鎖度は湾口部が狭いことに大きく関連している。この閉鎖度を下げるには、湾口部の拡張が必要であるが、住民が生活していることと、地形から不可能である。土佐湾に注ぐ河川の河口部は波浪による礫の打ち上げにより極度に閉塞する。すなわち、自然に閉鎖度が高くなり、頻繁な浚渫が必要となる。湾外から砂や土砂を入れることは閉鎖度を上げることになり、防災および水質保全の両面で好ましくない。閉鎖度上位20位までのうち、県庁所在地の中庭にあるのは浦戸湾と16位の長崎湾である。長崎湾は面積が10.8 km2と狭いものの、最大水深と湾口の水深が45mもあり、閉鎖度は7.3しかない。すなわち、浦戸湾は都市部にある、最も汚染されやすい閉鎖海域なのである。

2.自然状態での水質浄化
 海の底質は動物の生息に大きく影響する。底質はさまざまであるが、土の粒子の直径が0.00024〜0.0039mmを粘土、0.0039〜0.0625mmをシルトと称し、これらを併せて泥とよんでいる。直径0.0625〜2mmが砂で、これはさらに5段階に細分される。これ以上の直径から256mmまでは礫であり、これを超えるのは巨礫とされる。動物の生息に適しているのはシルトと巨礫である。シルトはその表面を利用する動物と穴を掘る動物の生息地であり、巨礫は付着生物あるいは固着動物の生息地である。巨礫は表面しか利用されない。粘土は動物が穴を掘るのがもはや困難であり、砂は穴の形状を保つのが困難となる。
 シルトに依存する動物の多くは穴を掘り、その中で生活する。ゴカイ、二枚貝、小型のカニがその典型である。穴は底質の表面積を広げ、動物が動くことで底質のより深い部分の海水が攪拌される。このことにより、底質に海水中の酸素が供給され、還元状態が回復して水が浄化される。しかし、もっと大きな浄化作用は動物の呼吸そのものである。
 自然状態ではシルトのみ、すなわち、純粋に無機物のみからなる底質はない。干潟は河口域に発達する。そこには泥や砂の他に、有機浮泥(デトリタス)とよばれる生物の塊が混在する。この塊の中心は、人間の食物の残渣を含む動物と植物の遺体の微細な破片および動物の糞である。これに、これを栄養源とする原生動物、菌類などが付着し、それを餌とする輪虫や線虫が取り囲む。干潟ではさらに珪藻や糸状藻類が付着し、ゴカイや二枚貝、小型のカニの餌となる。小動物はさらにより大きな魚やカニの餌となり、あるいは鳥の餌となる。もちろん、魚が他の魚の餌になることもある。動物のすべては糞を排泄し、やがて死ぬが、それらが再び有機浮泥となる。この有機浮泥が基になる栄養物の流れを浮泥食物連鎖(detritus food chain)と、餌が動物の体を通過するたびに水が浄化されている。もちろん、代謝産物は水に溶解し、水生植物や植物性プランクトンに利用される。これらが、光合成により酸素を放出するのもまた水質浄化に貢献している。完全な閉鎖系や深海底では、有機浮泥はやがて厚く堆積する。干潟では、エネルギーを蓄えた魚やエビが湾外に出る、あるいは渡り鳥が飛び去ることで湾内のエネルギーが湾外に運ばれる。これが、干潟が天然の浄化槽とよばれるゆえんである。

3.自然再生事業の問題点
 国土交通省は、環境と共生する港湾を目指し、豊かな生態系を育む自然再生型事業を総合的に展開する(四国地方整備局のホームページより)。具体例として、多様な生物の生息地である干潟と藻場の保全、再生、創造を挙げている。同省が干潟と藻場の保全に尽力しているのは承知しているし、より積極的に推進して欲しい。しかし、再生と創造には大きな問題がある。なぜなら、これに港湾整備事業で発生する土砂を利用する、と明記されているからである。干潟は形成されるべき自然な地形で、長時間にわたる生物の働きと水の動きで徐々に形成されるものであり、浚渫時に海水で洗われた土砂でできるものではない。粒子のサイズだけからでも、盛り土や盛り砂が動物の生息にとって不適なのは明らかであり、浄化機能のほとんどない空間を創造するだけである。有明海の干潟の泥は8万年前の阿蘇山の噴火に由来し、ほぼ現在の地形となって堆積が始まってから1万年も経過している。干潟に生物が豊富なのは事実であるが、形成には膨大な時間を必要とし、人間が造成できないのもまた明らかである。
 砂あるいは土砂を狭隘な湾内に運び、埋め立てに使用することは、前述のように水の富栄養化を防ぐ意味で、また、防災上から避けねばならない。ところが、高知県は1997年から1999年にかけて、衣ケ島周辺に中土佐町沖の砂を大量に撒いた。県の事業概要によれば、その目的は干潟を創造し、水質浄化を図ることである(www.pref.kochi.jp/~zaisei/yosan/h15/juuten/sigenn/junnkann024.pdf)。もちろん、できたのは干潟ではないが、この覆砂地にアサリが大発生し、市民で賑わった。ところが、2003年の夏にアサリがほとんど姿を消した。事業の自己評価では、水質浄化に貢献するアサリが発生し、水質が向上した、とある。ただし、この評価は2001年であり、まだ大量のアサリが生息していた時期のものである。事業の正しい評価には、事前の綿密な生物の調査ならびに水質の分析、および事後のその長期的継続が必要である。しかし、これにはまったく触れず、新たな埋め立て地の造成を、しかも浚渫土砂で行なうことは信じがたい環境破壊と言わねばならない。

4.バイオトープとしての浦戸湾
 バイオトープ(biotope)は本来、ある特定の生物群集が存在する地域を指す。特定の種や個体群の生息地はハビタット(habitat)であるが、バイオトープはハビタットを性状により区分したものとも解釈されている。ただし、両者に厳密な区別はなく、同義と考える学者もおり、バイオトープは次第に専門書から消えつつある。しかし、マスコミでは今でも、ビオトープ(ドイツ語のBiotop)として頻出する。ほとんどは人工的なビオトープであるが、ここでは、「自然において特定の生物群集が存在する地域」として扱う。
 2001年に初めて衣ケ島を訪れ、本年6月から埋め立て予定地の灘の底生動物を調査した。その結果、高知県レッドデータブックに掲載された種と、未掲載であるが学術的に貴重な種の生息が確認できた。それらを列記すると、ムツハアリアケガニ(高知県絶滅危惧IA類)、ヒモハゼ(IB類)、マメコブシガニ(II類)である。これに加え、日本国内の4ヶ所と香港からしか記録のないトリウミアカイソモドキと、レッドデータブックで情報不足とされたトウヨウヤワラガニの2種のカニが確認された。両種とも、IA類に相当する存在である。また、オキナワハゼ属の一種が記録された。この魚は日本初記録ないし新種と考えられる。浦戸湾にはIA類のシオマネキが生息する。潮下帯では、ドロクイ(IB類)とアカメ(IA類)の標本が得られた。ドロクイはここ数年、県内で採捕の記録がない。本種の最後の生息地が浦戸湾とする魚類学者もいる。ドロクイは淡水の影響が浦戸湾より強い四万十川河口域には生息しない。アカメの主な生息地は宮崎県と高知県とされていたが、もはや高知県のみと言っても過言ではない。本種は日本固有種である。これらの魚類もまた泥底に大きく依存している。最近、全国的に希少となったヨシエビが浦戸湾の特定の地域で産卵していることが判明した。日本産のノコギリガザミ3種のすべてが生息している。すなわち、浦戸湾は日本でたぐい希なバイオトープなのである。

5.浦戸湾を埋め立ててはならない
 1970年8月21日に襲来した台風10号は、高知市を中心に死者・行方不明者13人、737億円の大被害をもたらした。そこで高知市議会は、防災上の不安が解消するまで、今後の埋め立てをしない決議を採択した。この議決はまだ生きている。住民の生命と財産を守る防災工事は必須である。しかし、余分な埋め立てがなければ、防波堤をさらに高くする工事は不要である。しかし、現実に埋め立てられた。揚げ句は、防波堤が高くて海が見えなくなったから浚渫土砂で親水空間となる干潟を造成し、ついでに水質浄化を図ろう、となったのである。矛盾だらけである。
 浦戸湾にはまた別の歴史がある。1971年6月9日の「高知パルプ生コン事件」を県民は決して忘れてはならない。これ以降、1950年からの1日13500トンのパルプ廃液の江ノ口川への垂れ流しが止まった。それまでは、高知駅に降り立つとドブの匂いがした。浦戸湾は全国で最も汚染された死の海だった。以来、30余年を経て、浦戸湾はようやく元の豊かな海に戻りつつある。
 浦戸湾の真の再生は、これまで以上の工場廃水の規制・監視、下水道処理施設の整備・拡充、浦戸湾に合った藻場の造成しかない。自然林が植林政策でほとんど失われ、山、川、海が荒れた。今度は、海がさらに痛めつけられる。国の方針であっても、誤りは誤りである。浦戸湾の自然が貴重であることが判明した現在、浦戸湾の歴史を踏まえ、これを後世の残すのが県民と行政の責任なのはもはや明白である。

   高知県自然観察指導員連絡会会報ネイチャー高知 ,(22): 2-4. (2004)