クリニカルクラークシップハンドブック

  • はじめに
  • 1. 医師は見た目が大事
  • 2. プレゼンテーション能力を磨こう
  • 3. 今どんな医師が社会から求められているのか?
  • 4. 自ら研究して英語論文が書ける医師になろう
  • 5. 30年以上の外科医ライフを振り返って
  • おわりに

はじめに

2006年4月1日より高知大学医学部外科学講座外科の科長をしております花﨑和弘と申します。このたびは外科のクリニカルクラークシップ(以下クリクラ)にようこそ!!
 これはクリクラに入る医学生を対象としたハンドブックです。より充実したクリクラを過ごせるだけでなく、将来医師として大きく羽ばたいて欲しいという願いも込めて作成しました。大部分は医学生だけでなく、初期研修医および外科の後期研修医にも参考になるかと思います。是非ともご一読ください。
はじめに私共の教室の基本方針は、研究マインドを持った手術の上手な外科医(Academic Surgeon)の育成です。

そのために以下の3点を心がけています。
  1. 若い時期から執刀医として外科医を育成する。(パーツ式手術教育法)
  2. 男女共同参画を推進し、男性外科医だけでなく、女性外科医も社会人・家庭人としてhappy になれる労働環境を整備する。
  3. すべての研究は英語論文で完結し、高知から世界へエビデンスを発信する。
上述したパーツ式手術教育法は私が考案しました。一つの手術を難易度別にいくつかのパーツに分けます。指導医が第1助手をして、最初は簡単なパーツから執刀医として習得していきます。次第に難しいパーツを執刀していくことにより、最後は全てのパーツを執刀し、一つの手術をマスターできる方法です。一つの手術を安全かつ効率的に学べます。パーツ式手術教育法の優れた点は若い時期から自分が執刀医として担当できるパーツが必ずあるので、基本的手術手技のマスターが早くできるだけでなく、自分が手術を執刀しているため術後管理の責任感が増幅され、しっかり患者さんを診るようになります。
 外科教室としては珍しく、男女共同参画が浸透しており、女性外科医の入局率が高く、入局後の活躍も目立ちます。また少ない教室員にも関わらず、毎年多くの英語論文(研究業績)を高知から世界へ発信しています。こうした取り組みは着実に実を結び、地方大学にも関わらず、全国から注目される外科教室として発展中です。
 当科のクリクラを通して、皆さんが外科医および外科医療に少しでも興味を持ち、将来良き医師になっていただければ、科長として望外の喜びです。

1. 医師は見た目が大事

1) 清潔な服装を心がけよう

 医師は見た目の印象、特に清潔感が大事です。まず靴に注意しましょう。クリクラへ来る際は、泥の付いたスニーカーや運動靴は避けてください。できたらクリームで磨いたクリーンな靴(革靴がベスト)を履きましょう。衣服は、白衣にケーシー着用(ケーシーのみでも可)かワイシャツにネクタイ着用で病棟に来てください。患者さんは医師の服装をつま先から頭のてっぺんまでチェックしています。医学生や研修医も同様です。清潔な服装を心がけ、見た目が格好いい医師を目指しましょう。

2) 自分から挨拶しよう

 挨拶は人と人とが良好な関係を築くための基本です。その中でも一日のスタートになる「おはようございます」という挨拶はきわめて重要です。毎朝、クリクラの友達同士で「おはようございます」という挨拶を練習しましょう。そして患者さんや患者さんのご家族だけでなく、医療スタッフに対しても自ら進んで、「おはようございます」の挨拶をして、練習の成果を発揮しましょう。学生時代から「おはようございます」を繰り返し練習しましょう。そして医師になったら毎朝自分から「おはようございます」の言える医師になりましょう。この能動的「おはようございます」を職場で実践したら、ベスト研修医賞どころか勤務する病院のベスト医師賞も獲得できます。嘘だと思ったら試してみてください。

3) 笑顔を心がけよう

 笑う門には福来る。笑顔が多い人は精神状態が落ち着いているため、幸福や幸運に恵まれる機会が多いといわれています。また笑う人に悪意を抱く人はいません。患者さんは健康人には理解できない大きな不安と苦悩を抱えています。皆さんの笑顔で癒してあげましょう。そのためには毎朝「鏡(かがみ)の前でベストスマイルを練習する」習慣を身につけましょう。傍から見たら気持ち悪いかもしれませんが、誰も見ていませんから安心してやってください。俳優さんや女優さんになったつもりで、患者さんの前でもベストスマイルが演出できる医師を目指しましょう。

2. プレゼンテーション能力を磨こう

 日本人は人前で自己紹介したり、講演したりできるプレゼンテーション(以下プレゼン)能力が弱いと言われています。なぜでしょうか?おそらく小さいころからそうしたトレーニングをしていない練習不足が一番大きな原因だと思います。外科1のクリクラで最も重視しているのは、2週間かけて自分が作成したレポートを最終日に同級生の前で5分間プレゼンしていただくことです。どうしてプレゼンにこれほど拘っているのか説明します。実はプレゼンは医師に必要不可欠な以下の3つの能力を同時に鍛えることができるのです。

1) 患者さんを良く診るようになる

 優れたレポートを作成して、良いプレゼンをするためには患者さんと良好な関係を築いて、患者さんからいろんな情報を聞き出す必要があります。そのため、患者さんのベッドサイドに何度も足を運ぶようになるだけでなく、患者さんの話を良く聴くようにもなります。すなわちしっかり患者さんを診れる医師になれます。

2) コミュニケーション能力が身に付く

 医師に最も必要な
コミュニケーション能力とは、「知識を整理した上で、患者さんやその家族をはじめとする他者にわかりやすく説明できる能力」
です。この中の最重要点は、「他者にわかりやすい説明ができる」です。医師人生をhappyにしたかったら、医療訴訟に巻き込まれないように注意しましょう。医療訴訟に巻き込まれると大小はあるものの散々な目に遭いますので、心身ともに疲弊し、医師を辞めたくなることもあります。
 カルテを書くのと同様に、患者さんやその家族にわかりやすい説明ができるコミュニケーション能力を身に付けることにより、医療訴訟に巻き込まれる確率はグッと減少します。すなわちコミュニケーション能力は医療訴訟を回避し、happyな医師生活を送るための大切なツールなのです。すなわち、わかりやすいプレゼンはコミュニケーション能力を鍛えないとできません。コミュニケーション能力を鍛えてプレゼン上手になって、happyな医師人生を送りましょう。

3) 専門知識が身に付く

 
医師国家試験や卒業試験および専門医資格試験も含めて試験に合格したかったら「医学や医療の専門用語をインプットし、試験でアウトプットできるように準備すること」
です。外科1でのプレゼンは、「医師が医師に行うプレゼン」です。したがって、日常診療で医師が使用する医学専門用語を駆使したプレゼンをしましょう。特に手術の説明は、自分で描いた10枚ほどの図を用意して、図の中に専門用語(多くは解剖学や生理学用語)を用いた説明を加えるとわかりやすいプレゼンになります。プレゼンに必要な専門用語を理解することは、医学知識習得のための近道といえます。

3. 今どんな医師が社会から求められているのか?

 社会や患者さんが求める理想の医師像と医師がなりたい理想の医師像とはかけ離れているのでしょうか?私はそうではないと信じています。現在、グローバルに求められている理想の医師像は、Art(臨床能力)・Science(学問)・Humanity(人格)を兼ね備えた医師です。各々について詳述します。

1) Art(臨床能力):どうしたら手術が上手になれるのか?

 全ての患者さんは、臨床能力の高い医師にかかりたいと願っています。例えば、外科の患者さんなら手術が上手く、注意深く周術期管理が行える、優れた臨床能力を持った外科医に治療をしてもらいたいはずです。この要望に応えるためにどうしたらいいのでしょうか?
 私は、
「いいお師匠さん(メンター)に教えていただく」
ことが臨床能力を高める一番いい方法だと思います。
外科医なら手術の上手なメンターから直接手術の手ほどきを受ける
ことです。多少厳しい指導を受けるかもしれませんが、一生食べていける技(わざ)を伝授していただける訳ですから、それ相応の覚悟で臨むべきです。特に私のように手先が不器用で、外科医としてのセンスに乏しいと自覚している人間ほど、優れたメンターから教えを請うべきです。またメンターは国内外を含めて何人いても構いません。
 医師は異動の多い職業ですので、1人のメンターと過ごせる時間は限られています。限られた時間だからこそ良きメンターと一緒に過ごせる修行の時間を大切にしてください。人生の先輩として沢山の技だけでなく、医療に取り組む姿勢や考え方も教えていただきましょう。いいお師匠さんとの出会いおよびお師匠さんと一緒に過ごせる時間は貴方の医師人生のハイライトと言っても過言ではありません。

2) Science(学問):どうしたら研究マインドが身に付くのか?

 医師は生涯学習が必要と言われています。なぜだと思いますか?医学の知識は日進月歩で、留まることがないからです。外科医療においても、患者さんは外科医を信頼し、自分の命を委ねるのです。これ以上大きな使命を担う職業は他にあるでしょうか。
 21世紀の外科医療現場においても、内視鏡外科の普及、ロボット手術の登場など新しい技(わざ)が次々と臨床応用されています。こうした医学の進歩に追いついていくのは余程勉強したとしても、なかなか大変なことです。特に外科医は患者さんから命を直接預かっている職業ですので、しっかり勉強して、しっかり患者さんを診るという大変厳しい仕事を覚悟しなければいけません。
 皆さんは、EBM(evidence based medicine)という言葉を聞いたことがあると思います。科学的根拠に基づいた医療と訳されます。具体的には、自分の受け持った患者さんの診断や治療に関する過去の文献(英語で書かれている最新の文献が多い)を読んで得た知識を患者さんのために活用していくことです。EBMをsmoothに始めるコツとして、論文の要旨(アブストラクト:大抵は250単語以内)を読むことをお薦めします。英語の文献を読むのが苦手な人ほど推奨したい有効な勉強法です。
EBMを着実にマスターしているか否かを確認する有効な手段があります。それは学会の専門医資格です。
専門医試験はEBMを実践している医師なら合格できるように試験問題を作成してあります。外科医なら最低限、日本外科学会の専門医および指導医資格を取得しましょう。それに加えて、例えばEBMを実践できる消化器外科の専門家を名乗りたいなら、日本消化器外科学会の専門医や指導医資格も併せて取得しましょう。
 どんなに沢山の文献を読んでも解決できない問題や疑問は必ず存在します。皆さんならどうしますか?どうしても解決したかったら、自ら研究を立ち上げ解明していくしかないのです。私はこれを
ECM(evidence creative or creating medicine)
と呼んでいます。すなわち自分でエビデンスを創出していく。ゼロから研究を立ち上げていくことになりますので、フロンテイア精神やチャレンジ精神が必要となります。
 皆さんの医師人生のキャリアアップの中に、
大学に代表される研究機関を活用して、EBMだけでなくECMも鍛えられるような期間を2-3年ほど設けましょう。
そしてECMの成果として、
学位(医学博士)取得を目指しましょう。
ECMを実践するだけでなく、学位取得(博士論文の完成)のための研究の中で涵養された科学的思考力は臨床現場でも必ず役立ちます。
 まとめますと、将来は自分が所属する基盤学会の専門医資格と学位(医学博士)を取得して研究マインドを持った臨床能力の高い医師になってください。医師過剰時代になればなるほど専門医資格と学位取得は医師の質の担保となるだけでなく、昇進時の有力な審査基準にもなります。

3) Humanity(人格):どうしたら医療訴訟を回避できるのか?

 医師に必要な人格とは何でしょうか?私は医療訴訟に巻き込まれない人格が医師に求められる人格ではないかと思います。医療訴訟に巻き込まれないための方策として、患者さんや患者さんの家族にわかりやすい説明を行い(コミュニケーション能力!!)、その説明内容をカルテに正確に記載することが肝要です。すなわちカルテは自分の身を医療訴訟から守るための有効なツールといえます。
 それでは医療訴訟に遭遇しにくい人格とはどんな人格でしょうか?ここでは参考になる過去の事例を紹介します。米国のハーバード大学でのお話です。昔、ハーバード大学病院は医療訴訟の多い病院だったそうです。当時の学長は頭を痛め、その原因を究明するために、医療現場の見学に行き、その原因を突き止めました。具体的には、「上から目線の医師」が多く、そうした医師ほど医療訴訟に遭遇する確率が高いことがわかったのです。ハーバード大学はその後、学長の指示で「上から目線の医師を減らし、腰の低い医師を育成する」という医師の人格形成に関する教育スローガンを掲げ、改善に取り組みました。その結果、医療訴訟がぐっと減少し、ロールモデルとして世界中に広まりました。
 医療訴訟に巻き込まれたくなかったら、是非とも「
腰の低い、謙虚な医師
」を目指してください。どうしても無理な場合は、俳優さんや女優さんになったつもりで、「腰の低い医師」を演出してください。たとえ演出でも10年くらいやったら、演出の域は超えて素晴らしい医師として周囲から高く評価されるはずです。間違っても「
上から目線」の医師にだけにはならないように注意しましょう

 皆さんにトルストイの有名な格言をご紹介します。「謙虚な人は誰からも好かれる。それなのにどうして謙虚な人になろうとしないのだろうか」

4. 自ら研究して英語論文が書ける医師になろう

 私も含めて満足に英語も話せない皆さん(失礼!)には夢物語と思うかもしれませんが、医学部に入学できるくらいの学習能力とやる気さえあれば、医師になってから英語論文を書くことは可能です。以下は外科医を例にとって解説しますが、どの科の医師になっても同じです。
 「多忙な外科医は手術手技の向上を目指して手術だけやっていれば良い。英語論文を書くのは時間の無駄だ」という学説?を唱える外科医は結構います。本当に論文を書くことは手術手技の上達と相反する行為なのでしょうか?私は以下の三つの理由で違うと明言します。
 一つ目は、外科医は自分の手術に反省を加えて、さらなる上達を目指さなければなりません。そのためには自分たちが行った過去の手術症例をおさらいして、科学的に分析し、論文化して手術成績として世の中に公表する義務があります。これによって自分の外科医としての立ち位置を世界レベルで確認できます。さらに、論文化による反省は、手術手技の改善や向上にも役立ちます。いくら自分で「手術が上手い」と主張しても、手術成績を論文にして世間に公表しなかったら、本当の意味で正当な評価は得られないのではないでしょうか。
 二つ目は、命のやりとりの現場の最前線にいる外科医には、自分が経験した稀な症例や教育学的意義がある症例は、症例報告として世の中に公表して、後世に伝えていく義務があります。症例報告は、他の外科医が同様な手術症例に遭遇した場合の有益な情報源となり、患者さんにより良い医療を提供できる確率を高めます。また症例報告を書く過程で、手術手技も含めた沢山の文献を読みますから、いつもより深い勉強ができます。症例報告の作成において文献を介して手術手技や疾患の病態を理解することは、手術や周術期管理の上達にも役立ちます。
 三つ目は、外科学発展への貢献です。外科学は日々進歩しています。外科学の発展に寄与する新しいエビデンスを創出していくことは外科学の発展には必要不可欠です。またエビデンスの創出は頭のトレーニングも兼ねています。古今東西、手術の名人たちが口を揃えて言うことは、「手術は手先で行うものではなく、頭で行うもの」です。さらに考えながら文章を書くことは、最も効率的な頭のトレーニングになるとの報告もあります。論文を書く行為を介して、頭脳を活性化し、手術時には手先だけでなく、頭も使える外科医になりましょう。
 貴重な症例を経験したら論文化して症例報告する。定期的にいろんな角度から自分の手術成績を反省するために論文化する。そして臨床の疑問点を解決するために研究し、新しいエビデンスを創出していく。自分が関与した手術症例を論文化していく習慣を身につけることは、論文著者の外科医療レベルを高めて、担当する患者さんにより良い医療を提供できるようになるだけでなく、外科学の発展という大きな社会貢献にもなります。

5. 30年以上の外科医ライフを振り返って

 私は医学部に入学する前から外科医を目指して受験勉強をしました。新潟大学で過ごした6年間の医学生時代も外科医になる夢は変わりませんでした。
 帰郷した信州大学で外科医になりたての頃は、とにかく手術の上手な外科医になろうと張り切っていました。しかし、その思いとは裏腹に現実は厳しく、失敗や挫折をくり返しました。「自分には才能が無い。外科医を辞めよう」と何度も思いました。外科医は自分の能力をはるかに超えた大変な職業であると痛切に感じました。困り果てて、当時の上司に相談しました。「お前は何度辞めたいと思った?何十回?そんなのは甘い。俺なんか何万回も辞めようと思った。けれども目の前の患者さんを診ていると見捨てる訳にはいかず、とうとうこの歳まできたんだ。お前が辞めるという結論を出すのは、まだ早い」と。この時の上司の説得のおかげで私は何とか踏みとどまり、外科医を辞めずにすんだのです。
 その後手術が執刀できるようになってからは、悟りを開いたかのようにモヤモヤは晴れ、手術や術後管理がどんどん面白くなっていきました。外科医を辞めたいという気持ちはすっかり失せて、外科の魅力にはまっていきました。その頃の夢は信州大学で学位を取得した後は、緊急手術だけでなく待機手術もバリバリできて、大学より気楽な一般病院の外科医として働くことでした。その夢は叶い、長野県を代表する基幹病院で沢山の手術を執刀しながら、症例報告や臨床研究を中心に学会活動だけでなく、相当数の英語論文もpublishしました。
 若い頃、大学教授になる夢は、なかったというよりは最初から無理だと諦めていました。ただし潜在的には、肝胆膵外科の高難度手術を執刀し、最先端の研究に専念できる現在のような環境に憧れを抱いていたのかもしれません。
 いずれにしろ、幸運にも受験生の頃から憧れていた外科医になれました。またこれも運の良いことに、2006年4月から高知大学外科教授にさせていただきました。将来の高知県、日本だけでなく世界で活躍できる外科医の育成活動に携われることは身に余る光栄であり、とても感謝しています。

おわりに

 外科医の魅力を一言で表現すると、自分の手で直接患者さんの命を救うことができる、つまり
起死回生の一発が打てる
という点に尽きます。これから進路を決める段階の皆さんに1人でも多く外科の仲間になっていただき、この感動を共有していただければ大変嬉しく思います。
 医師にとって患者さんからいただく感謝のお手紙ほど嬉しいものはありません。特に高難度手術を施行した患者さんからいただいた感謝状は、回復するまでに困難が多いため、一字一句とても励まされます。将来は、是非とも
患者さんから感謝状をいただける医師
を目指して精進してください。
 そのヒントはこのハンドブックの中に全て詰め込んだつもりです。