特集記事−Feature Article
デジタル化が拓く新時代の農学研究 ー「変革の担い手」となるZ世代の活躍イネの根における抵抗性機構を科学する
手林慎一[専門領域] 化学生態学、生態生化学、生物有機化学、農薬化学
[研究テーマ]
●イネの抵抗性機構の天然物化学的および分子生物学的研究
●農作物による有用成分の生産と利用法の開発
●未利用資源を用いた創薬シーズのスクリーニング
生物と生物の関わり合いを、分子レベルで研究している化学生態学研究室。
かつては農薬化学の研究を行っていましたが、世界の情勢は自然環境保護や人体への被害をなくすため、農業は害虫や病気の防除のための合成化学薬品を使わない方向にシフトし、それに伴って大学の研究課題も植物が持つ抵抗性を活用する防除へと変化してきました。
そこで、データサイエンスを使って目には見えない世界の情報を集め、イネを食害するオカボノアカアブラムシとイネの抵抗性について研究を進めている手林慎一先生にお話を伺いました。
イネの根に虫の食害に対する抵抗性はあるのか?
植物はどれも、虫や病気に対して抵抗性を持っています。人や動物、虫に食べられないよう、トゲを持っていたり、苦味があったり、硬くて食べにくかったり……。つまり、「生物が嫌がるもの」が植物の抵抗性です。
例えば、トマトは比較的虫に強い植物ですが、その要因はトマトが持つえぐみ成分であることがわかっています。
人間は自分たちが食べるために、野菜が持つ抵抗性を弱くする品種改良を重ね、おいしい野菜を作っています。しかしそうすると、そんな野菜は虫にとっても食べやすくなり、栽培過程で害虫が大発生するリスクが大きくなるわけです。
この研究ではそれを逆に捉え、植物抵抗性を強化することによって虫が嫌がり、害虫被害を抑制するといったことにチャレンジしています。
私はまず、日本の農業の大黒柱であるイネを研究対象に選び、その中でも北海道の陸稲に着目しました。
イネの病害虫に対する抵抗性の研究は多数行われていますが、その多くは茎や葉の部分を研究対象にしており、イネの根の部分についてはまだわかっていないことが多いとされています。
そこで私は、これまで抵抗性がないとされてきたイネの根に、それが本当にないのかどうか見極めるため、研究室内でイネに虫を感染させ、抵抗性を示す化学物質が増えるかどうかの研究を行いました。
アブラムシ飼育の様子。稲の芽出しの根についている黒い点がアブラムシ。これでも害虫としては大きいほう
デジタルサイエンスで見えない世界を知る
イネの根に抵抗性があるかどうかを調べるため、私はオカボノアカアブラムシを使いました。
オカボノアカアブラムシは、春先に梅や桃などのバラ科木本植物の新梢に発生する虫です。増殖後に発生する有翅虫(ハネのあるアブラムシ)は飛び回って分散し、イネ科植物の根に寄生して汁を吸い、加害することから、小麦や陸稲などの作物の害虫として知られています。
私は、飼育したオカボノアカアブラムシをイネの根に感染させると、吸汁した部分が褐色に変色し、他のオカボノアカアブラムシがその部分を避ける傾向があることを発見しました。私は、変色した場所に虫に対して何らかの防御反応が起こっているのだろうと考えました。
この褐変した部分の代謝物質の変化を解析することで、イネがどのような物質によって抵抗性を発揮しているのかを知ることができます。
インキュベーターで栽培したイネ(播種4日目)にオカボノアブラムシを寄生させると、その箇所が茶色く変色していることがわかる
実体顕微鏡でアブラムシの行動を観察
DXの時代でも最初の観察は肉眼と経験からの判断は必要
抵抗性物質セロトニンの分析
設定してしまえば自動で100分析してくれる
実験は、研究室で飼育しているオカボノアカアブラムシと、研究室で栽培しているイネを使って行います。イネの根にオカボノアカアブラムシを加害させ、褐色に変化した部分を切り取ってすり潰し、メタノールに浸け、その上澄み部分を取ってメタボローム解析を行います。
メタボローム解析とは、直訳すると「生体内に含まれるすべての代謝物」であり、サンプルに含まれる物質を専用の機器を使って網羅的に解析します。
メタボローム解析の機器は山形県鶴岡市の鶴岡市先端研究産業支援センター(鶴岡メタボロームキャンパス)にあり、サンプルを送って解析してもらいます。
この一つのサンプルから約3万の物質についてデータを取得し、加害されたイネの根と、加害されていないイネの根のデータを比較して物質の増減を見ます。
虫が寄生して加害が進むと代謝産物の量も徐々に変動するので、1週間に5回くらいの割合でデータを取ります。そうすると、加害される過程の物質量の変動が見えて来ます。これがデータサイエンスの力です。ここで浮かび上がってきた物質をターゲットに、実証実験を行います。
かつては「この物質が関与しているのではないか?」という勘が頼りで、人間の目につきやすい物質がターゲットになりがちでした。ですが今は、デジタルの時代です。データサイエンスの力を借りると、目には見えないものでも微量だけれど大きく変動しているものがあることが見えてきます。今まではそれが何かを特定すること自体も難しかったのですが、今では科学の進歩により比較的予想がつきやすくなりました。
農薬に代わるアブラムシ駆除の手段に
オカボノアカアブラムジに加害されたイネの根をメタボローム解析した結果、抵抗性物質はセロトニンであることが推定されました。
質量分析の結果からアミノ酸や生体アミン、低分子有機酸の増加が確認された。特に、トリプトファンの含有量は変動しないものの、トリプタミンやセロトニンの増加が確認された
これらの生体アミンと桂皮酸誘導体類の縮合化合物群は、細胞壁の取り込みによりイネの生体防御機構であることが提唱されており、アブラムシの寄生に対しても同様な反応機構が発現したものと考えられた
褐変に関与されると推定される代謝産物の蓄積量と光合成遺伝子の発現の動態
セロトニンは接種後5日目にかけて蓄積量が増加し、その後減少するものの、T5Hの転写量は変動しておらず、この時期にセロトニンを消費する何らかの酵素の発現が生じているものと推定された。アブラムシの接種後3-5日頃から根の褐変が強くなる現象を確認していることから、蓄積されたセロトニンがperoxidaseにより重合・褐変していることが予想された
次に、オカボノアカアブラムシの忌避物質がセロトニンであることを確認するため、実証実験を行いました。
人工飼料でオカボノアカアブラムシを飼育し、その中にセロトニンを入れると、オカボノアカアブラムシが生育しないことを確認しました。
つまり、セロトニンはアブラムシの生育を阻害する物質で、それをイネの中で意図的に増やすことができれば、アブラムシの食害に対抗できる強いイネを作り出すことも可能となります。
現在は、この結果を活用した陸稲の害虫対策の実用化に向け、さらなる研究を進めているところです。
セロトニンを増やすため、イネに与えるべき刺激とは何か……。
一般的に知られている“植物に与えられる刺激”となると、それはホルモン剤などの薬剤です。しかしそれだと農薬になってしまいます。私は人工的な薬剤ではなく、もっと自然に近い刺激剤を探しています。
このようなものは、「バイオスティミュラント」と言われています。言葉を直訳すると、「生物刺激剤」ですが、自然に存在する物質や微生物を活用し、植物に良好な影響を与えようという考え方から生まれた地球環境に優しい農業資材です。これは、持続可能型農業が提唱されている昨今、世界的にも注目されている新たな研究分野だといえます。
環境に負荷の少ない農業の実現に向け、高まる社会的ニーズに答えるべく、さらに研究を進めていきます。
豊かな実りを目指して