大学紹介

高知大学 これからの「地域の大学」vol.1

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 法人として出発した今日、高知大学に限らず、どの大学も一様に同じ悩みを抱えており、文科省が求めている「個性」をどう出すかということについては、大変厳しい競争が今水面下で始まっております。

 それをどのように意識するか、それは個々の大学の教職員の責任であります。

 ある大学の経済担当理事として、大学をこの4ヶ月間見られた方が「こんなことではこの大学はつぶれる、何をしているのだ」という激しいご叱正と同時に「将来四国がどう変わろうとも本学が四国の大学のリーダーになるんだ、そのためには本学をいかに変えよう、の提案が部局からあがって来ない」というようなお話をなさっておりました。その要点だけを学長メッセージとして教職員の方には、すでに発信をさせていただきました。

 意識改革の進み具合にもよりますが、その程度に応じて、各大学内で論議され、静かな、厳しい競争が行われつつあることを明確に実感して頂きたいのです。

 中期目標・中期計画は6年後にその目標・計画の達成度を大学評価・学位授与機構が評価・決定し、それが総務省にいって、最終的な評価が行われる。そこで総務省から勧告が出る、という事でありました。ところが今年の6月ごろに、文科省が年度計画の評価を行うことになりました。文科省の年度計画評価ということですから、概算要求とのからみで、我々が押したり引いたりする評価なのだろうというのが最初の認識でした。しかし、総務省から国大協の代表が呼ばれ、総務省が独自に、5段階評価で年度評価をすると言いだしております。

 「中期目標・中期計画の6年間の各大学の評価の基準さえもまだ決まっていない、そういう中で総務省が独自に年度評価を5段階評価するということは受け入れ難い。行うとすれば、むしろ総務省は、はじめて法人化という新しいシステムの中で、国立大学がどのようなところで困難を感じているのか、その問題を明らかにするための年度計画評価を行うべきである。そして、こういう問題があるから中期目標・中期計画の年度事業がうまく進んでいないのだと課題を見つけて、その課題を政府として或いは文科省として解決すべき、という支援のための評価をすべきである。」と総務省に申し入れてはあります。

 この事態を最悪シナリオとして考えますと、行政改革の面が色濃く出てきて、「四国に国立大学が一体幾つあったらいいのか」という命題に突き当たりそうなのであります。あわせて、今の日本の財政からして、高等教育を民営化するという話まで出てくるほど行き詰まっているとすれば、道州制という話題も出て来る可能性が十分にあります。

 

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 国立大学はこれから2種類にしなければいけないのではないか。日本の国立大学としての基本的諸条件を、すでに備えている旧制の帝国大学といわれる大学を一群とする激しい国際競争を行うべき大学群と、それとは別の『地域の大学』という国立大学の一群が要るのではないか。地方分権を推進するとすれば、どうしても、地域の全智の拠点として充実した大学を、国が能動的に支援する『地域の大学』を考えないと、日本に本当の市民社会という体制はできないのではないかと思っております。
 この意味で、高知大学を『地域の大学』として強くアッピールしようと思っているわけです。
 国立大学に民間的発想の経営手法を入れる。これは、市場の自由競争原理ではなく、我々大学関係者が考えるときに、第三者評価を入れた競争原理を導入するということです。
 世界最高水準の大学を創るために競争原理をいれるという事は、資源のない日本がこれから世界と知的な国際競争をやっていくということだけではなくて、いわゆる地球的な規模においてあらゆる面で調和のとれた活動のできる、そのリーダーを創るという意味で、人材の大国を創るのだと解すべきです。国際競争に勝つことばかりを目的とするような人間を創るのではないという意味で、人材大国の創造を考えるべきです。
 一方、地域の活性化、地方分権という本当の市民社会を創っていく時に、いかに『地域の大学』が大きな意味を持つのかを理解せねばならない。日本の将来は国際競争の大学だけが決めるのではなく、むしろ日本という国を支える地域を創造する『地域の大学』の役割が極めて大きいのではないか、それが21世紀の時代の要請ではないのかと考えます。
 遠山プランにいう最高水準の大学創りとは、20世紀までに存在した大学が、それぞれの歴史のなかで、優越感とか優位とかではなくて、新しく、それぞれの個性を考えた世界水準の大学創りを行う、そのことに国として、国家的に立ち向かうという意味です。
 では、それはどういう大学なのか、或いは人材を創るという大学はいったいどういう大学がどのような人材を創ることになるのか、これからの21世紀という時代の中で、決してぶれたりしない本当の市民社会を、日本に創り出すための拠点として、あらゆる地域の全智の拠点としての『地域の大学』をどう育てるのか、こういう問題を抜きにしては、高等教育制度の法人化は考えられないし、国立大学の機能的分担を、立地条件を柱に、考えなければいけないのです。しかし、高知大学でも、目先のいろんなことの対応策に追われているというのが一つの現実であるわけです。この法人化は単に経済的な理由、これが一番大きな理由ではありますが、これだけに囚われずに教育改革を成し遂げるということにしなければ、日本の将来は極めて危ういと考えているわけであります。
 この基本的考え方から、高知大学を「知の世紀の担い手たるべき大学」に皆で協力して創らなければ、存在意義を失うといわざるを得ません。

 

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 さて、以上のように国立大学の法人化は教育改革として行われねばなりません。この大学法人が将来どうなるのかというと、恐らく行政改革として民営化という線が、もう一度、机にのると思われます。したがって次期教育改革として、国立大学の再再編という事態の生じる可能性は高いと考えられます。この再々編の分かれ目の時には、より現実的な厳しい競合による淘汰を国立大学は受けなければならないのは自明の理ともいえます。
 冒頭に申し上げました、総務省が今年度から年度計画を評価すると言っているのは、最初の2年間の年度計画の評価をして、そこで大きく色分けをして、次の2年間で更に精密な色分けをし、最後の2年間を残務整理のために使うように勧告を出すという事になるのではないか、最悪のシナリオはこのようにも考えられます。恐らくこの時に道州制という問題も絡み合って出てくるとも推測されます。そうなると、私達が当面考えなければいけないのは、四国の中に大学はいくつ残れるのかという問題です。今から2~3年後には、恐らく、口にはのぼらないが、決まってくるというぐらいの厳しい状況になっているかもしれません。
 ところで、高知大学は国民にとって必要であるかという事であります。日本全国民にとって、本当に高知大学という大学がいるのかという事です。国民に、テレビでみるように、東京とか大阪とかの街頭に出て聞くとします。「高知大学って何?」という返事が返ってくるのではないでしょうか。一方、帯屋町へ行って、県民に「高知大学は必要でしょうか?」と尋ねると、「無いと困るかな・・・。」という程度の返事になるのではないでしょうか。
 しかし、ほんとうに、高知大学が無くなる時点では、東京で「高知大学が無くなるんですが、どう思います?」と言うと、「そりゃあ努力が不十分だったのでしょう。」という反応で終わると思いますが、県民にとっては、そうはいかないと思います。
 今、高知大学には、約6、000人の学生がおりますが、その内の6割近くが県外から来ております。この学生たちが、毎年高知県に落としてるお金というもの等を考えるだけでも、高知県には非常に大きな問題になろうかと私は思っております。県民は、「高知大学の教職員はいったい何をやっとったか!」と、強い叱責は必ず起こると思います。
 私が役員会で申し上げたことは、「大学が無くなるという事態になった時に、高知大学の大学人の問題以外で無くなるのなら、県民も、僕らには怒らないでしょうけれども、大学人の責任が大きい、その結果、無くなるとなれば、土佐人は許してはくれません。そこのところを、皆よく納得してこの2年間を過ごして頂きたい。」と申し上げてあります。
 土佐の人の気質は、だからこそ応援もしてくれるということであります。我々が一生懸命努力していくという事が、土佐の人、高知県民に理解さえしていただければ、他の県には考えられない、実に強い支援や応援が生まれてくる、これが土佐人の特徴だと思います。だから我々は、再々編の時、必ず国立大学で在り続けられる努力を、大学人として、県民が何処から見ても納得する、恥ずかしくない努力を、今、しておかないといけない。そうしないと、他の県でみられないような支援が得られる土佐で、支援を失うと私は考えています。
 評価で大切なものに、第三者評価があります。第三者評価で最も大切な評価は、属している地域からの目だと考えています。国立大学は、これまで、さまざまな理由がありましょうが、あまりにも地域の目に無関心でありすぎたと考えています。

 

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 『地方大学』から『地域の大学』へと変わる大学の使命は、「教育」と「研究」と「社会貢献」。これらが巧みに有機的に機能してこそ、私が言っております、輝く『地域の大学』としての存在理由を、初めて明らかにすることができるでありましょう。

 じゃあいったい、これをどうやるのだということで、私は先ずfaculties 教員一人一人、あるいは学部一つ一つが、先ず自己責任をはっきりさせることを求めました。ただ、それだけでは駄目なので、それをunitedする、すなわち私は『United Faculties of KOCHI UNIVERSITY』と言いました。
 今、学部の諸君はfacultiesというところにだけ重点を置いた活動をして下さっている。しかしfaculties が自己責任を自覚して活動するだけでは『地域の大学』たりえない。それぞれの活動を、統率の取れた有機的固体にしないと意味が無いわけです。人間は、摂取した食事を無意識に消化・栄養吸収をしている、心臓だって自律的に働いている、こうしたfacultiesが、統率の取れた機能環を形づくって初めて、人間としての働きができているのと同じです。
 『United Faculties of KOCHI UNIVERSITY』になってこそ『地域の大学』としてのレーゾン・デートルがあるわけです。
 これを、皆でどう創りあげるか、ということを私はお願いしているのです。

 

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 私は、change今こそ変わろうと言っております。その変わることを恐れるな、むしろchanceと考えて、高知大学がどういう形になろうと、法人後の高知大学の教職員はよくやっているじゃないか、という理解が県民から得られるように挑戦challengeをし、新しい『地域の大学』を創造createしたい、と考えています。

 全国のいわゆる地方大学と言われ続けてきた大学の学長が、一番往生しているのが、蛸壺状態という、無関心、無気力、規律無き平等主義です。平等という事で、アウフヘーベンするのではなくて足を引っ張る、「まあ俺が定年になるまではこのままでいくやろう」など、あるはずのない蛸壺に入ったつもりでいる。自分が蛸壺に入ったつもりでいるけど、その蛸壺が法人化で無くなっていることに気付かない、裸の王様の意識改革です。

 しかし、規律無き平等主義があろうとも、現状を脱皮して本当の市民社会というものに適した大学を創るという事になると、やはりchange、chance、challenge、createというような新しい意気込みを、何年も持ち続けていかないといけないだろうと思います。

 

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 高知大学はいったい何を研究の主題とすべきか。教育におくべき目標は何か。社会貢献においてすべきことは何か。

 地域の大学のあるべき10年の姿を、進むべき方向を建てるために、「企画戦略機構」において検討・提案される。それを役員会で検討し、効果的に実現するための戦術会議を経て、担当理事が委員会を駆使して実現する。「企画戦略機構」で大学の進むべき大方針を作れば、その大方針に従って各理事が担当分野において方針の実現を図り、学部長を始めとする部局長は、大方針の下で所管する部局の活性化の具現に責任を持つ。一方、評価本部があって、全ての組織評価を行って、もっとここを改善すれば効果的になるのではないか、という軌道調整をしていく事になります。

 これらが有機的に機能して初めて、『United Faculties of KOCHI UNIVERSITY』となります。レーゾン・デートルも確立し、ブランド化への道も開けます。

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